かれこれ、2年前に、もうなるのだろうか?
私が、ミニマリスト(⬅️よく言えば)のように、断捨離もどきを始めたのは。
親が天国へ旅立ち、悲しみに暮れている暇もなく、いろいろな事をしなくてはいけなくなったことが、おおきなキッカケだったように思う。
執りおこかわなければいけない沢山の儀式以外に、残され必ず片付けなければいけない様々な事柄があり、そして、それと一緒に、沢山のモノがあった。沢山の遺されたモノ。
私は当時、かなり体を悪くしていたため、実家の片付けができる状態ではなく不可能だったため、かなり躊躇し、迷ったが、業者の方に頼んだ。
前以て、持ち帰れるモノだけは、と何回も片付けに行っていたが、改めて誰もいなくなった部屋には、埃だらけになった洋服や靴などの衣類から、書類、食器、ダイニングにあるテーブルやチェア、居間のチェストや寝室のベッドやタンスなどなど、ありすぎて何処から手を付けてよいのやら?
押入れ、クローゼットには段ボールに入れられた思い出の品々。
お雛様からきなくなった着物の沢山入った桐ケースたち。
何をどうしたらよいのか?
力尽きて何も出来ず、全て置いてきてしまった。
ただ、自分の賞状と一緒に私の賞状や通知表まで、乱雑だが、キチンととっていてくれたから、それと、沢山のアルバムや写真が入ったダンボールを5箱。大切にしてあった服の幾つかを持ち帰った。
本当は買ってもらった私の思い出の品物たちも持ち帰りたかったが、助けてくれる人もいず、また、頼る気にもなれず、置いてきてしまってたのが、悔やまれる。
物を手放すことは、悲しみが伴う。
身軽にはなる代わりに何か大切なモノをなくしてしまったような。
ポッカリ穴が開いてしまった心のようだ。
ただ、良かったのは、いつも片付けには行っていたが、家主がいない部屋なのに、何故か溜まった、やるせ無い空気や埃が、一掃された気がしたこと。
手放したことにより、闇の世界への扉を閉めたような、
助かった、という不思議な気持ちになったことだった。
全てを片付け、何もなくなった部屋は怖かった。
さようなら。
本当に天国へ行ってしまったんだ。
本当にいないんだ…
巷に溢れるミニマリストの記事を見ると、最小限に物を減らし、整理整頓されているから実際にやりたくなる。
シンプルになりたい、効率化したい、無駄をなくしてスリムな体になるように生活を、美しくすっきりしたい、と常日頃思っていたからだ。
つまり私には、ズボラでも時短をしたい、という楽したがりの気持ちだけなのかもしれなかったが。
しかし、シンプル化を通り越し、何もない状態にまで、突き進む方もいるようで、断捨離を越えた、持たない、というか、無い、という状態の暮らしは、実際に生活をやっていけてるのかなぁ、と素朴な疑問が湧いてた。
ただ、自分が手放すのは凄く勇気がいることだったな、と思った。
そして、手に残すものは、慎重にならねばいけない、とも。
時間に迫られて選別するのは止めた方が良い。
実際に残したモノは大切にしなければ、ならない。
それなのに、後になって冷静になると、要らない物や持っていても使い道がなくて使ってあげないと可哀想になってしまうモノもあったからだ。
良く考えないといけなかった、 手放さなければ、と後悔したモノは、あっだが、今はあれで良かったとは、思う。
手放すこと以上に、手の中に残すモノにも心を配らなければいけない。
ミニマリストになりたいけど、いかに後悔しないかが、まるで人生のようにのしかかった。